でめきん
花壇の草むしりをしているときにH君が「ねぇ先生、でめきんって知ってる?」という会話からのエピソードです。
いま幼稚園にはデメキンのくろちゃんがいます。何故かというと、「名古屋に行っている間、世話をして欲しい」と、子どもに頼まれたからです。
H君の家の場所も知っているし、どうやってデメキンを幼稚園まで持ってくるんだろなぁと思っていると、保護者から「迷惑じゃないですか?」「どうやって持ってきたら」と、ご相談がありました。
私も何が正解かは分かりませんが、H君の「育てて欲しい」と、どうやって園まで持ってきたらいいかを考えた時に、私は「H君に、園まで持ってきてもらったらどうですか?」とお声がけしました。「幼稚園まで金魚を持っていく」という難題を、子どもに託してみてはどうでしょうか。と。
持ってこれなかったら諦める。(別案の模索?)
持ってこれたら連休中のお世話は、私がする。
これをH君も納得してくれました。
さて、デメキンが幼稚園にいるということは、H君が家から幼稚園まで、水をこぼさないように一生懸命持ってきてくれたんです。ただ、ただ。すごい。
昨日は入園願書受付があり、H君もご兄弟の兼ね合いで来園していて時折デメキンの様子を見に来てくれていましたが、未就園の子が興味を持ってデメキンを眺めている様子を見ていたり、「餌をあげたい」という小さなお子さまにも、餌を数個渡して「あげていいよ」と関わってくれていました。
H君は自分では餌をあげていませんでした。何故かというと、あげ過ぎてはいけないことを知っているからなんですよね。自分が餌をあげるのではなく、他者に譲っていました。
私がなぜこのエピソードを取り上げるかと言うと、子どもの主体性とは、「自らの意思や判断に基づいて行動すること。その行動に対して、責任を持つこと」だと言われています。
H君は自分の意思や判断を、責任を持って行動してくれました。その結果、今日の制服採寸の際にも、たくさんの未就園児のお子さまが「おさかな」と興味深そうに見てくれていました。保護者の方も「でめきんがいるんだぁ~かわいいね」と、話してくれています。H君の行動が、たくさんの人に影響してくれています。
じゃぁ、毎回毎回子どもの行動に責任を問うか?というと、きっとそうではないはずです。失敗することも大切な経験です。私たち大人も、一つ一つの行動に責任を問われたら、ちょっと息苦しい。(仕事等は別ですが)
子どもの成長をみたときに、できなかったことを問い詰めるのではなく、出来たとき、気持ちが満たされたとき、例え出来なかったとしてもその姿を愛情をもって認めてあげることが大切なのではないでしょうか。
日中、屋外にいたでめちゃんですが、私も「お世話をする」という責任を受けましたので、退勤前に、でめちゃんには室内にいてもらうことにしています。笑