「年長児」って。
何ともとりとめのない文章になる気しかしませんが、アウトプットとして書かせてください。
年長の三学期。たくさんの姿が見られる時期。みなそれぞれに成長しているなと感じます。



当たり前のように他学年と一緒に関わっていたり、鬼決めで、鬼になりそうな子が何とも嫌そうな・複雑そうな表情をしていたら、それを読み取って「俺がやるよ」と変わってくれていたり、今日も縄跳びが絶好調な姿を見せてくれたり。



はたまた、切り紙の本を見ながら「どうなるんだろう?」と見本に沿って、手先を器用につかって細かく切っていたり、自分でなぞなぞを考えて、文字に起し、本を作っていたり。イメージを膨らませながら立体の製作をしている。


昼食を食べ終わった後、お友達の髪を編みこんでくれる。
もうかなり前ですが、「ふれる」と「さわる」の関係性について述べたことがあります。
この二人の関わりは、まさに「ふれる」関係性。お互いの信頼関係が築かれているから、髪を触られることが嫌ではない。相手を信頼しているから、委ねることができる。



一方で、集団で過ごすことの楽しさも見いだせる。異年齢交流で年長が主として企画したゲーム屋さん。「どんな内容にしようか」「何が必要か」「どうやったら楽しめるか」 皆で一つの目標に向かって過ごすことができる。



そして、それが楽しそう。ワクワクしながらゲーム屋さんを開き、他学年を招く。そこでも、他学年に思いやりを持って接することができる。この「射的」コーナーを見たときにすぐに気付いたことが「この射的の飛ばすヤツ(ピストルの代わり)、前から作ってたやつ?」と保育者に尋ねると、「そうです」とのこと。
何のことか。これ、昨年の6月頃から子どもたちの中でY字のパチンコの玩具、分かりますか?あれを作るのが流行ったんです。そこでもどうやったら強く飛ばせるか、マトを小さくしても当てられるかが盛り上がっていました。↓6月の様子。


6月の出来事が8ヵ月後にも活きてくるなんて素敵な話ですよね。一年間を改めて振り返ってみるとぐっと成長している姿が見てとれます。それが4月から「小学1年生」になると、急に「幼い子ども」扱いされてしまう。何だか勿体ないなと思うんです。
長くなるので一度ここで終えます。笑 呟きでした。