生きものの取り扱い
スタッフをさせていただいている研修会の中で、参加者の取り組みや悩みの中から「虫」についての事例が取り上げられました。これは園だけではなくて、恐らく家庭で子育てをしている中でも出てくる課題かと思います。先にお伝えすると、少し虫の写真が出てきますので苦手な方はご注意ください。また、結論はありません。ごめんなさい。

子どもに大人気な「ダンゴムシ」。子どもが一生懸命つかまえては手のひらに集めたり、虫かごの中に入れる姿を見たことがあったりと想像できるかと思います。そのダンゴムシの「その後」って、どうなっていますか? 取り上げられた事例の中でも、集めたダンゴムシが「大人から見たら死んでしまっている。元気がなさそうだよねと子どもに声をかけると、じゃぁ葉っぱ入れてみる!」と答える。という話でした。善・悪という話ではなく、園でも時々下駄箱の上に置かれたまま、干からびてしまうダンゴムがいます。


講師の先生がこう仰っていました。
『虫で「遊び」は違うと思うんです。 だけど、虫と「育つ」ということはあり得る。最初は虫で「遊ぶ」ということはどうしても起きてしまう。虫は「教材」かと言われたらそうではない。だけど、虫と関わることで、虫を育てる・飼育することで、子どもたちも育っていくということが出来ると思う』
子どもの姿からすると、一生懸命捕まえて虫かごの中を自分なりにダンゴムシが過ごしやすいように、考えて環境を整えて「おうち」を作っている。これを私たちは否定することは到底できない。子どもの思いからすると「捕まえた虫を放置しているわけではない」のです。 でも、死んでしまうことが圧倒的に多い。

命を軽く考えて欲しくないとすれば「捕まえないで」「逃がして」と大人が言えば、子どもは従うかもしれません。けれど、それをすると「子どもの育ち」が奪われてしまうかもしれない。毎日「テントウムシどこかなぁ?」と虫網と虫かごを持って探検する二人は、図鑑で調べながら「こういう場所にいるかもしれない」という仮説を立てたり、割りばしから飛び立つテントウムシのイラストを見て、「棒が必要なのか!!」と真剣になっていました。虫がいることでの学びは、確かに沢山ある。


子どもの学びがそこにあるならば、「ダンゴムシは干からびて死んでしまってもいいのか?」
その答えは分かりません。人それぞれの価値観に寄るかと思います。もちろん、死んでしまったことで生死を知るきっかけになる。という考えだってありますよね。だから事例を発表してくれた保育者の方も悩んでいたのだと思います。
テントウムシも毎日いるわけではありません。「今日は見つけられなかった。。」落ち込んでいる日もありました。でもその中で、どうすることも出来ない事に折り合いを付けたり、「また探してみようよ!」という友達の声に支えられたりする姿もあります。たかが虫ではなく、されど虫。
まとまりのない内容かもしれませんが、深く考えさせられる事例と講師のお話があったので、忘れないようにアウトプットさせていただきます。
