続・黙々と
以前、「黙々と」の投稿の中でお話したMちゃんのお話。
この内容を記載した際に、または保護者の方とお話をした際に少し言葉足らずだったと思ったことがありました。それはMちゃんが「一人で遊んでいるの?」と、大人が感じてしまった場合です。
なんでわざわざこの内容を掘り起こすかというと、スタッフとして通年参加している幼稚園協会の研修会の中で、参加者の中から子どもが「よく遊んでいる・遊べていない」というワードが出てきました。それを踏まえて講師の先生から、
・子どもが「よく遊んでいる」
・「子どもたちが遊べていない」ってどんな判断基準?
と、お話がありました。そのお話を聞いた時に、本当にそうだよなと思わされたんです。「黙々と」の中で、Mちゃんが縄跳びをする姿の中からの育ちを記載しましたが、後日、こんな場面がやはり生まれていました。
1つ学年がうえの子の姿を見て参考にしていたり、同じクラスの子ども・1つ学年が上の子どもとMちゃんは縄跳びを楽しんでいました。
私たち大人はついつい、「誰と遊んでいるか」「集団に馴染めているか」などを気にしてしまうと思います。それが間違いではないのですが、その前にある、Mちゃんのような子どもの姿をそのまま認めてあげることが大事だと思うんです。
教育や保育という言葉の前では、大人の願いや、望ましさ、子どもにこうあって欲しいという気持ちが強くなってしまいがちです。でも、子どもが遊んでいる姿を温かい眼差しで見てみれば、受容してみれば、その子なりに楽しんでいること、世界を広げていること、味わっていること、面白がっていることが、必ずあります。
私は一人で黙々と縄跳びを楽しむ姿が素敵だなと心底感じたのですが、記事の中でも触れているようにそこからの人間関係の広がりが写真の通りありました。だから、まずは今の子どもの姿を大切にしたいと思うのです。幼児期という短い期間ではありますが、中・長期的に温かく子どもを見守りたいなと思わせてくれる研修会でした。そんな場にスタッフとして関わらせていただき、改めて自園の子どもの姿を肯定的に捉えられることを有難く感じています。